湯之元温泉株式会社沿革
運営を行う湯之元温泉株式会社の沿革と概要をご説明します。
〈湯之元温泉株式会社沿革〉
明治2年廃藩置県の際、藩より地元に下賜され、当初44名、明治12年に19名が加わり、市来温泉組合を結成、鋭意改善を図り、さらに明礬湯、福之湯を増掘し、諸施設も逐次整備した。
昭和10年3月1日温泉経営の健全化と、資金調達の便宜を図るため現組合員を株主として、市来温泉株式会社を発足。株式総数:3,200株 資本金:64,000円 株主総数:64名 社長:國分喜熊
昭和15年4月29日、福之湯と明礬湯を合併し、明礬湯を福之湯と改称し、明礬湯を廃止。
昭和20年7月30日の空襲で元湯・打込湯が全焼し、福之湯だけで営業。
昭和21年2月5日、元湯・打込湯とも建物再建を完了し、営業を再開。
昭和22年4月1日、湯之元温泉株式会社と社名変更。
昭和29年1月7日、打込湯類焼により焼失。3月13日建物再建完了、3月16日から営業再開。
昭和56年3月29日の株主総会において、老朽化し、またシロアリ被害の激しい元湯・打込湯の建物再建を決議。経営合理化と駐車場確保のため元湯・打込湯を合併し、男女とも元湯温泉・打込湯温泉の2浴槽を設置し、各々の泉源から温泉を引くことに決定。
昭和60年11月、元湯・打込湯温泉改築完了。営業再開。同時に打込湯、福之湯両温泉廃止。
令和2年10月1日 湯之元温泉(株) 建物・付帯設備の老朽化による故障多発及び、建物耐用年数も経過したため平成31年4月の株主総会で改装工事を決定し、令和2年10月に、温泉神社とのコラボを前面に演出した改装工事完了併せて、今まで2階にあった休憩所を隣接の「はらだや」に移転した。
2階には新たにW i F iを設置し、コワーキング施設を整備して、主に若者向けをターゲットとした施設として開放された。
現在株式総数:1,292,800株 資本金:25,856,000円 株主総数:128人
代表取締役社長 新村和憲
2.温泉神社について
元湯・打込湯温泉奥の台地に当社管理の温泉神社がある。神社の起源は明らかではないが、往事は「湯之権現」といい、明治30年神社改築を記念して、市来温泉組合員名を刻した記念手水鉢が神社境内に設置されている。
昭和7年8月1日、市来温泉組合の手で、温泉発見記念碑が神社境内に建立され、同時に当時中央集落にあった温泉発見者黒川大煩兵衛の墓(一つ墓と称する)を境内に遷祀した。
なお、温泉には薬効があることから、御神体として、明治19年1月吉日に苗代川村玉光山(現在の沈壽官窯・第12代沈壽官)が制作した薩摩焼の薬師如来像が祀られている。
神社に仏さま?神仏混交といい、日本土着の神祇信仰 (神道) と仏教信仰(日本の仏教) が融合し、一つの信仰体系として再構成された宗教現象をいいます。
以上の理由から、先人たちが薬師如来像を祀られたものと思われます。
昭和8年 池田グリ氏の寄付により神社社殿が改築された。
昭和27年8月24日 神社付設の遊園地を東市来町に無償提供した。
昭和32年7月 温泉神社屋根修理及び神社鳥居新設。
昭和40年6月21日 神社鳥居建て替え。
昭和51年6月 神社鳥居新設。
昭和54年3月25日 温泉神社神殿を修理して残し、拝殿を取り除く。
平成27年 会社創立80周年を迎え、株主有志および湯之元未来80人会議メンバー等ボランティアにより鳥居三本を手作りで制作し、湯之元温泉の日(平成27年11月23日)を前に鳥居の数が四連鳥居となる。
平成30年11月23日 湯之元在住の寺田 司氏の制作により、石造りのお湯かけ薬師如来像が建立された。入湯客には、願い事を込めてお湯をかければご利益があるし、体の悪い箇所、例えば腰、肩などにお湯をかければ不思議と治ると評判である。
令和2年10月1日 温泉神社とのコラボレーションにより、神社風の温泉施設が改装工事により建造され、元湯・打込湯の新しいキャッチフレーズを「薬師の湯」として、新しく生まれ変わりました。